2008年の3月まで営業してたローカル線・三木鉄道。おそらく播磨周辺では一番最近廃線になった鉄道でしょうけど、それでもこの記事を書いている2017年から見ると9年の月日が流れてしまったわけです。
個人的には15年ほど前、たまーに仕事の関係で三木鉄道を利用してたんですけど当時から乗客がそんなに多くなかったんで、廃線のニュースを聞いたときは寂しくもありながら、そりゃそうなるだろうなー、と妙に納得してしまったのを思えてます。
そんな三木鉄道ですけど、この前偶然近くに行くことがあったんで現在の厄神駅〜旧・三木鉄道宗佐駅までを見に行ってきました。
では、その時の写真です!(※時間の関係で撮影した順番は逆です)
↓↓↓まずはJR厄神駅のホームから。今は柵ができちゃってますけど一番奥が三木鉄道のホームになってました。みんなここから乗り換えをしてたんですね。
↓↓↓上から見るとわかりやすいですね。この縦長のスペースに電車が止まってました。やっぱり一度でも体験してると、こういう場所の楽しみが倍増します。あの当時のことを思い出しながらの撮影でした!
↓↓↓ホームを降りた場所から。レールは全部なくなってました。
↓↓↓逆側からもパチリ!
↓↓↓厄神駅から少し離れたところ。三木鉄道は右側にむかって走っていました。
↓↓↓ここから次の国包(くにかね)駅に向かってました。って、難読の地名ですね!
↓↓↓信号ケーブルっていう表示はここ以外でも見ることができました。
↓↓↓少し進んだ場所で廃線跡の醍醐味、道路に埋め込まれたレールを発見!この間行った鍛冶屋線とか別府鉄道跡地にも残ってます。
↓↓↓斜めから。ここは踏切だったんですね。
↓↓↓どんどん進むと、ガードレールの向こう側に石垣が。ここは橋がかかってたんでしょうか。
↓↓↓んー、、、読めねえッス。。
↓↓↓おっ、こういう小さい踏切って好きなんです!でもここのレールは撤去されてアスファルトが埋め込まれてました。
↓↓↓でも横はなーんにもない空き地に。っていうか撤去されたレールってどうなっちゃうんでしょうね?溶かしてまたなんか別のものにするのかな??姫路モノレールの大将軍駅みたく薄く切って販売しても面白かったかもしれないですね。
↓↓↓少し斜めになってる標識が廃墟感があって好きです。
↓↓↓これも、、、読めない。
↓↓↓ここは両サイド遠くまで線路跡を見ることができました。ホントに真っ直ぐですね!
↓↓↓逆側もまーっすぐ!
↓↓↓おっと、これは、、、???
↓↓↓来ました!旧・国包(くにかね)駅です。昔はほんとに小さなホームがあったはずなんですけど、今は全部撤去されてますね。
↓↓↓なーんにもない。。
気を取り直して次の駅に。
↓↓↓おっ、昔は道路を横断してたんですね。てことはやっぱり踏切だったのかな。
↓↓↓この先に行くと、さっきの国包駅です。
↓↓↓交差点はこんな感じ。
↓↓↓反対側は駐車場になってました。
そしてどんどん進むと、、、???
↓↓↓おっ、あの石垣!
↓↓↓かっこいいですね!
↓↓↓この上を車両が走ってたのかー。
↓↓↓なんだか古代遺跡みたいです。
↓↓↓逆側もどうぞ。
↓↓↓そしてさらに進んでいくと、、、?
↓↓↓つきました!旧・宗佐駅です!
↓↓↓えーっ、でもなーんにも、ない!せめてホームだけで残しときゃいいのになー。当時の写真とかがのってる看板とか。鍛冶屋線だったら全線自転車道にしてくれてて最高だったのにな。
↓↓↓この黄色と黒の柵は当時のものっぽいですね。ということは駅のすぐ横が踏切だったってことでしょうか。
↓↓↓事前情報がなかったらここに鉄道があったとは思えないですよね。んー、当時三木鉄道を利用してた分だけ寂しい気持ちも倍増してしまいました(涙)
というか、こういう廃線の近くに住んでた人は駅がなくなっちゃたらやっぱり不便になっちゃったんでしょうか。もし僕の住んでる目の前に駅があったらローカル線といえどもきっと交通の便はいいと思うんですよね。車社会の波には勝てないのかな??
以上、今回は2008年に廃線になってしまった三木鉄道の厄神駅〜宗佐駅までの現在を紹介しました。機会があったら残りの宗佐駅〜三木駅までの様子もレポートしたいと思います。
ではでは〜!