さぁ、ここのところの暑さで汗をかきすぎたためか、塩が食べたくてしかたがない播磨弧道です。
みなさんも塩分補給には気をつけてくださいね。
さてさて、突然ですがみなさんは「赤穂鉄道」って聞いたことがあるでしょうか。
赤穂鉄道は1951年に廃線となった鉄道で、有年駅〜播州赤穂駅(現在の播州赤穂駅とは別)を繋いでいました。
赤穂鉄道の存在は、このブログを開始した頃から知ってたんですが、なかなか播磨弧道が住んでいる加古川からは遠いので、これまで行くことができませんでした。
ただ、せっかくのお盆休みでしたし、風が少しだけ涼しくなってきたんで重い腰をあげて思い切って行ってみることにしました。
ということで、今回は戦後すぐに廃線となってしまった「赤穂鉄道」をたどる旅をお届けします。(先にこっそり言いますけど、ホント行ってよかったです!)
では、その模様をご覧ください♪
※記事中の地図・航空写真は地理院地図を加工したものです。
目次
JR有年駅へ向かう(トラブル×2あり)
まずは、いつものごとく折りたたみ自転車を携えてJR有年駅まで電車移動することに。姫路、相生で2回乗り換えが必要でした。
到着すると、なんと下車したのは播磨弧道のみ。
実は、過去に一度だけ有年駅に来たことがあるんですけど、当時からあまり人がいる雰囲気ではありませんでした。
当時の写真(1999年頃撮影)です。時間が流れるスピードに絶句します(笑)
そして、そのまま改札へ向かうことに。
ん・・・あれ???
・・・ICカードのタッチはどこ??
えーーーーっ!!切符なんか買ってないよっ!!(大汗)
すると横には貼り紙が。
えぇーーーー!!
9月15日から自動改札が導入・・・じゃ、ICOCA使えないじゃん!(ガックリ)
・・・。
・・・いやいや、何を言ってるんだよ、播磨弧道くん。
直接窓口にいけばいいじゃないか。確か前に来たときは駅員さんがいたはずだろ??
するとその横にも貼り紙が。
ぶっっっっ!駅員まで終日不在なのか!!!!
終わった・・・この年になって、はからずも人生初のキセルをしなきゃいけなくなってしまった・・・これは、いたしかたな・・・いやいや、電話だ電話!
(15分後)
電話でカスタマーサービスに電話をしたところ、後ほど違う駅で運賃(760円)を支払っていただければ大丈夫ですよ、とのことでした。
ふー、危なかった・・・今からたくさん汗をかく予定なのに、こんなところで水分を無駄遣いすることになろうとは(笑)
なにはともあれ、堂々と改札を出て外に出ることに。
ちなみに有年駅は昨年2017年から建て替えをしていて、今は完全に古い駅舎が撤去済みとなっていました。(古い駅舎は新しい駅舎の真ん前にありました)
でも、ここでまたしてもトラブル発生!
・・・ない!ない!
実は、赤穂鉄道の駅があった場所には、赤穂市教育委員会が白くて細長い柱を建ててくれています。で、ここ有年駅にも古い駅舎の端っこに建ってるはずだったんですけど・・・
見る影もねぇ・・・
その後も移設されてるんじゃないかと辺りを探し回りましたが、結果的に何も見つからずでした。
代わりと言っちゃなんですが、「有年地区まちづくり推進協議会」さんが赤穂鉄道に関する看板を建ててくれていましたので、写真をとることに。
(以下引用)
1915年(大正4年)5月、赤穂鉄道株式会社が創立され、1921年(大正10年)に開通した。赤穂鉄道は、播州赤穂駅・有年駅間12.7キロメートルを約30分45銭で結び、途中駅は砂子、坂越、目坂、根木、周世、真殿、富原であった。
有年駅は、日本固有鉄道有年駅を隣接し、乗降客は、1日3〜400人程であった。赤穂郡と京阪神等を結ぶ玄関口となり、米の集積地、塩等の中継地としても重要な役割を果たした。米俵等を積んだ牛車が往来し、駅構内は宿場特有の混雑があったという。
しかし、日本固有鉄道赤穂線の開通により、1951年(昭和26年)12月11日をもって廃線となり、30年の歴史に幕を閉じた。
(引用終わり)
・・・ということで、赤穂鉄道・有年駅跡の標柱は見つかりませんでしたが、この看板を見られたのでよしとすることに。きっと移設されてる途中だと思うので、また(20年後??)機会があったら有年駅に来たいと思います(笑)
1947年撮影の航空写真。今はわかりにくくなった駅から2号線までの線路もくっきり写っています。
赤穂鉄道跡地をたどっていく
富原駅へ向かう
有年駅を出発して2号線を西へ進んでいると、すぐに山の方へ向かう細い道がでてきます。
橋を渡って左側をみると細い道。そう、これが赤穂鉄道の線路跡です。位置的にはこの先がさっきの有年駅。では振り向いて、この線路跡をたどっていきましょう!
後でたくさん紹介しますけど、今回の旅ではホントにきれいな景色ばかりでした。まさに、日本の夏!って雰囲気です。
おおっと、いきなり出ました。「注意しろと言われても、注意のしようがないランキング第1位」の落石注意です。でも、地形を見るとたしかに落石は多いでしょうね。
線路跡は千種川に沿って走っています。遠くには橋ととんびが見えました。なんて幸せな景色なんでしょう!
川から少し離れるといかにも電車が通ってましたよ、と言わんばかりの細い小道とカーブ。北条鉄道にもこんな感じの場所がありますよね。
線路跡には竹林のトンネルがたくさんありました。
日差しが強かったのでコントラストが綺麗です。
リアルで見た時は、「いや、新海誠監督の映画やん!」とつっこむぐらい現実離れした風景でした。ホント夢見心地を味わえます。
おっ、そんなこんなしていると一番最初の富原駅の跡地に到着したようです。(有年駅もこういった白い標柱が建ってる予定でした)
横を見てみると解説まで書いてくれています。
(以下引用)
富原駅は真殿駅間1.5km、有年駅間2.3kmの停車場で、乗客がある場合にのみ列車が停車していた。駅舎は無人で、待合所のみの簡便な建物であった。
(引用終わり)
ふーん、乗客がいない場合はそのまま停まらず行っちゃってたんですね。なんだかバスみたいです。おおらかな時代ですね!
その昔、ここに駅舎が建ってたんですね。
ちなみに、1960年代の航空写真の位置で言うと、赤枠の中が富原駅です。
真殿駅へ向かう
さぁ、線路跡はまだまだ山裾を通っていきます。
竹林のトンネルがまたしても現れました。これだけ竹があったら1本ぐらいかぐや姫がいてもおかしくないと思いましたよ(笑)
これもリアル作画の映画風の写真。(これ、ノー編集です)
この区間ではほんとに人に会わなくて、たった一人だけ後ろからロードバイカーの方が追い抜いていっただけでした。
おっ、竹林の切れ間から千種川が見えています。なんて綺麗な水なんでしょう!
ところどころカーブがあって走りごたえがある道です。
おっ!そうこうしているうちに真殿駅に到着したようです。ここの標柱はさっきの富原駅のものよりも綺麗ですね。
(以下引用)
真殿駅は乗客の乗り降りの駅ではなく、蒸気機関車に給水したり、石炭を積み込むための駅である。駅舎には便所のほか、軌道脇に貯水槽が設置されていた。
(引用終わり)
ふーん、ということは普通の駅とはちょっと違ってお仕事用の駅だったんですね。
1960年代の航空写真ではこのあたりですね。
周世駅へ向かう
真殿駅を出発してもまだまだ竹林が続いています。
これだけ竹林が続いてるってことは、春になったら竹の子が山ほどとれるんでしょうね!
そして、もう少し走ると竹林が終わり岩肌目立つエリアに突入。
左の崖を見る限り、ここって岩山を削り取られて作られてますよね。昔は人力だろうからトンカントンカンやったってことでしょうか。そう考えるとすごいですね。
おっ、どうやら長かった森の出口が見えてきました。
外にでると平野部が広がっていて、そして・・・空が青いです!
おおっ、向こう側には新幹線の路線が見えますね。
赤穂鉄道が営業してた当時は新幹線はありませんでしたが、もし同時に存在していたら、新幹線から赤穂鉄道の線路を見ることができたってことになります。
おっ、あれは!
着きました!周世駅です。
(以下引用)
周世駅は根木駅間0.8km、真殿駅間15kmの停車場で、乗客がある場合にのみ列車が停車していた。駅舎は無人で、待合所のみの簡便な建物であった。
(引用終わり)
なるほど。
ここの駅も乗客が無い場合はノンストップだったんですね。
そして、1960年代の航空写真です。
周世駅でえきそばを食べる
周世駅についた頃にそろそろ小腹がすいてきていました。そして、駅と言えば姫路名物まねき食品の「えきそば」だろってことで、きつねのえきそばを食べることに。
えっ、廃線になった駅にえきそばなんてないだろって??
・・・ふふふ、あるじゃないですか。これが!
↓↓↓
そうです、カップ版のえきそばです。もし赤穂鉄道が今でも営業していたとしたら、きっとえきそばの店も営業してたはずなので、来る前から準備してました!
・・・でも、お湯がないじゃないかって???それも問題ないんです!
なぜなら・・・
(約1時間前。有年駅にて)
ICカードの件でカスタマーサービスに電話した直後、前にゆで卵をマグマカイロでつくってみた!で買ったマグマカイロをおもむろに取り出し、
これまた事前に買っておいたミネラルウォーターを取り出します。
カイロの封を切って、
モミモミひねり潰したら、すぐに発熱を確認。
そしたら、ガムテープではっつけるだけて自動湯沸かし器の完成ってわけです(ニッコリ)
・・・ということで、1時間も経てばホカホカのお湯ができてると思い、チェックしてみました。
うーん、、、でも残念なことに元が冷たかったからか若干温かくなってはいるものの、お湯というには温度が足りない状態でした。なので、これまたマグマカイロばりに暑くなったアスファルトに放置することに。
試行錯誤の結果、少し水をこぼして熱伝導率を高めるとすぐに熱が伝わることが判明。こうして、なんとかお湯をゲットすることに成功しました。
ということで、カップえきそばを作っていくことに。
スープの素を麺にあけたら、
そこに、さっき作ったお湯を豪快に投入していきます。
お湯を入れ終わりました。
あとは、4分待つだけなんですけど、ここで重大なミスに気づくことになりました。
実はこのカップえきそば、家の近くのスーパーで購入したんです・・・つまり。
箸がなかったんです!(汗)
しかたがないので、前の真殿駅でこんなものを探しておきました。
箸です(汗)
・・・いやいや、ちゃんとめちゃくちゃ洗ってます。水+お茶のカテキン作用でも何回も洗って消毒してるので普通に安全・・・なはず!(なんなら、こういう楽しい企画で何かあったとしても、それはそれで本望なんです)
結果的に4分待っただけでは出来上がらなかった(熱湯で4分らしい)ので、もう少し待ってからカップを開けてみると、そこには完全にできあがったえきそばが!
播磨弧道が大好きな一味唐辛子もかけていただきます!
ズルッズルズルッ!!!
昔食べたカップえきそばは「うーん・・・」だったんですけど、あれから進化してここまで本物を再現してきてるとは!
もちろん、速攻で完食&スープも完飲してしまいました。
ごちそうさまでした!
(これで、きっと周世駅でえきそばを食べたのは、世界でも播磨弧道だけのはずです^^)
根木駅へ向かう
お腹もいっぱいになったということで、4番目の駅「根木駅」へ向かうことに。根木駅は橋を渡ってすぐの場所です。
新幹線の高架下をくぐると遠くに橋が見えてきます。
ただし、見えている橋は赤穂鉄道の橋ではなく、その左側に別の橋がかかっていました。つまり、線路跡は歩道の部分ではなくすぐ左側の部分ということになります。
その昔、ここに橋がかかっていてその上を車両がガタンゴトンと音をたてながら走っていたんですね。
と、橋を3分の2ほど渡ったところで丸いものがあることに気が付きました。写真ではわかりにくいかもしれませんが、きっと何かの跡ですね!
ということで、さっそく行ってみることに。
おおっ、こんなところに痕跡が残っているとは!
ペットボトルを置いて大きさを比較。さすがに鉄道車両が通る橋ですから、これぐらい大きな柱でないとダメですよね。
柱の跡にはレンガが残っている場所もありました。それにしても、廃線から70年近く経ってるのにレンガは全く朽ち果てていません。
すごい技術だな、といろいろテンションがあがりながら路線跡にもどることにしました。
すると、橋のすぐ近くで今やレアとなってしまった「電話ボックス」と「円筒形ポスト」が併設された場所を発見!こっちもテンションが上がります(笑)
そして、そこから100mほどいったところに例の標柱を発見!
着きました!根木駅です。
(以下引用)
大正10年(1921)に播州赤穂・有年間を結ぶ軽便鉄道が開通した。ここに根木駅舎があり、駅長が常勤していた。ここから千種川を渡った山裾に線路が通っていた。
(引用終わり)
ここでは駅員さんが常駐してたんですね。ということは、えきそば食べるならこっちのほうがリアルだったかな???
ここに駅舎があって、電車を待ってる人がいたわけですね!
1947年撮影の航空写真でみた根木駅。
目坂駅へ向かう
根木駅を出発したら、しばらく国道90号線を進むことになりました。
すると山陽自動車道が見えてくるので、この下をくぐります。
90号線とはここでお別れです。
ちなみに有年駅を出発して2時間ほどが経ちましたけど、なんとこれが初めて見つけた自動販売機です。もし赤穂鉄道跡をサイクリングしたい方は、飲み物を買ってから行くことをおすすめします!(もちろん飲み物を買ってがぶ飲みしました)
そしてその後も道に沿って移動していると・・・
目坂駅の標柱です。
到着ですね!
標柱は電信柱のすぐ横に立ってるのでちょっと見つけにくかったです。
いや、、、これ、もうちょっと離した方がよくね??
(以下引用)
目坂駅は坂越駅間1.8km、根木駅間1.1kmの停車場で、乗客がある場合にのみ列車が停車していた。この駅から根木駅にかけて上り坂となり、しばしば列車が立ち往生した。
(引用終わり)
ふーん、さっき見てきた根木駅に行くときに止まっちゃったりしてたんですね。でも、そこまで坂があるようには思わなかったんですけどね。
これが1960年代に撮影撮影された航空写真の目坂駅付近です。
坂越駅へ向かう
目坂駅のすぐ近くには、その昔のコンビニ的存在だったであろうお店を発見。残念ながらすでに閉店しているようでした。
その後道はまっすぐ続いていたのですが、右側に山が見えてきたあたりで大きくカーブしていました。
このあたりからはJR赤穂線と並走する位置関係になっています。(ちょっとわかりにくいですけど、土手の上がJRの線路になっています)
カーブを曲がり切ってまたまっすぐ進みだすと、あるものを発見。
坂越駅の標柱です!
道のすぐ側にあるので比較的見つけやすかったです。
ただし、この標柱はあまり保存状態が良くなかったです。
なんとか読んでみましょう!
(以下引用)
坂越駅は浜市にあり砂子駅間0.8km、目坂駅間1.8kmであった。駅には(駅舎・事務室・待合所・社宅)と便所があった。また、駅前から坂越港行きの赤鉄バスが発着した。
(引用おわり)
ほほぅ、ということは坂越駅は赤穂鉄道の駅舎の中でも大きめだったんですね。まさか社宅まであったとは。
1960年代の航空写真。この写真を見ても周りにいろんな施設があるのがわかります。
砂子駅へ向かう
坂越駅を出発してまっすぐ進むと、緑色の管を発見したので、川を別の場所から渡って近づいてみました。
過去の航空写真を見てみると、どうやらこの上を線路が通っていたようです。
そして、またもや「いかにも線路がありました」道路を発見。
川に沿って移動していきます。
住宅地に入ってきました。
そして、実はここが赤穂鉄道の砂子駅跡です。ただし、これまで見てきたような白い標柱は見つかりません。なぜなら・・・
そこから50メートルほど移動した先に建っているからなんです。正面を見てみましょう。
「北へ約五十m」と書いてあります。
うーん、これはいやゆる「大人の事情」ってやつなんでしょうか。謎ですね。
そして、説明書きです。
(以下引用)
播州赤穂駅から2.5km北にある停車場で、乗客がある場合にのみ列車が停車していた。駅舎は待合所のみの簡便な建物であった。また裏山には保線用の土取場があった。
(引用終わり)
1960年代の真砂駅周辺。
播州赤穂駅へ向かう
さぁ、残るは播州赤穂駅を残すのみです!
張り切ったのもつかの間、アスファルトの舗装がなくなりお尻がガンガンとサドルにぶつけられることに(笑)
おっ、でも遠くの方が都会になってきました。
すると再びアスファルトで舗装された道になりました。良かったぁ!
そして、道をずっと進んでいくと川でこれ以上はまっすぐ進めなくなったので迂回することに。
過去の航空写真を見ると、どうやらこの場所で川を越えていたようです。
当時は川も2手には分かれてなかったんですね。
そして、ここからのエリアは開発が進んでしまって線路跡が残っていませんでした。なので、また少し迂回して線路跡が分かる場所まで移動することにしました。
踏切を渡ると、線路跡です。
すぐ側にはイオンがありました。
そして・・・
あっ、白い標柱だ!
着きました!
赤穂鉄道の播州赤穂駅の標柱です。
ということは、ついにゴールです♪
(以下引用)
大正10年(1921)に播州赤穂・有年間の12.7kmを結ぶ軽便鉄道として開通した。昭和26年(1951)の国鉄赤穂線が開通するまで活躍した。
(引用おわり)
そして、1960年代の播州赤穂駅(赤穂鉄道)周辺写真。
ふらっとウマ飯のコーナー(天馬らぁめん)
やっとゴールできたものの、汗をたくさんかいてしまった播磨弧道の体はとにかく塩分を欲していました。
なので、播州赤穂と塩分といったらこれでしょう!
そう、塩ラーメンです。
どどーん!スープはあっさりしていて疲れた体にはピッタリ。
しかも一緒に注文したチャーシュー丼のタレがまたおいしかったです。
ごちそうさまでした!
場所はこちらです。
ふらっと寄り道のコーナー(唐船山)
ラーメンをおいしくいただいた後、まだ日没まで少し時間があるようだったので、思い切って「山登り」をしてみることにしました。
海岸近くで山登りするの?って思いました??
そうなんです!
山登りといってもたった19mしか無い超低い山なんですね(笑)
麓に到着してみると、看板がありました。(へぇ、唐船山って赤穂市土地開発公社のご厚意で入山できるようになってるんですね!ありがとうございます)
では入り口から「登山」を開始しましょう!
といってもたった19メートルなので、5分とかからず山頂に到着。でも、この景色も最高です!
左側を見てみると海岸が広がっていたので、唐船山を下山した後に行ってみるとこんな神秘的な景色がまっていました。
まるで絵画のような景色。(この写真は何も編集してません)
またしてもいい景色に出会えました!
おわりに
ということで、今回は以前からずっと来たかった赤穂鉄道の跡地をたどってみました。そして、旅が終わった今感想としてまず浮かんでくるのが、「とにかく景色がきれい」ってことです。
特に有年駅〜根木駅までの間は森、川、田んぼ、橋と最高の景色の連続でした。
しかも天気にも空気のコンディションにも恵まれていて、空は常に青く、ときおりやってくる真っ白な雲がつくりだすコントラストがまた芸術的でした。
そして、途中でえきそばも食べられましたしね(笑)
ぜひ皆さんも有年駅から播州赤穂駅を目指してサイクリングしてみてください。きっといい旅になるはずですよ!
ではでは〜。
「ちょっと疲れた♪」