さぁ、最近食べる量を減らした結果、胃がちっちゃくなってしまって大盛りのつけ麺を死ぬ思いで食べることになってしまった播磨弧道です。
みなさん、いかがお過ごしでしょうか。
さてさて、皆さんは「網干鉄道」って聞いたことがあるでしょうか。
網干鉄道は、1989年に廃止になった鉄道路線で、その昔は国鉄(JR)網干駅から、浜田港まで運行してました。
(1960年代の航空写真)
播磨弧道はこの土地に住んで結構な時間が経ってますけど、網干鉄道の存在を全く知りませんでした。
となると、「行ってみたい欲」がすぐわいてきたんで、早速この「網干鉄道」が今どうなってるかを見にいくことにしました。
(※この記事の航空写真、地図は地理院地図を加工したものです。感謝!)
目次
位置を確認する
まずは地理院地図を使って、1960年代の航空写真を使って網干鉄道の路線を確認。そして現在の地図と重ね合わせて今の場所を特定することに。
すると、地図では以下のような場所になりました。
網干鉄道の路線図1
網干鉄道の路線図2
へぇ!ということは昔はJR網干駅から乗り換えて、海の近くにある工場まで出勤とかできたってことなんですね。今でもある兵庫駅の和田岬線みたいな感じですね。
じゃあ、位置がわかったんでこの路線に沿って「今どうなってるか」を見に行ってみましょう!
網干鉄道の痕跡をたどる1
現在の航空写真をみると工場地帯にはほぼ痕跡が残っていないので、今回は山陽網干駅から250号線を西に進み、そこから北に向かって路線を見てきました。
ここが今回のスタート地点です。
250号線の上から取った写真。
この下をまっすぐ道が伸びていて「いかにも昔ここに線路がありました」感が満載です。
250号線から降りて下からも撮影。
ここを電車がガタンガタンいいながら運行してたんですね。
今は子供のいい遊び場みたいでした。
では振り返ってこのまっすぐな道をすすんで行きましょう!
少しだけ北に移動。
すると、悪路が出現しました。
でも、当時のレールがまだ残っているのを発見!
他の廃線だと、三木鉄道が再現した駅の前だけレールを残してくれてますけど、ここまで当時のまま残ってるのは珍しいんじゃないでしょうか。
このままレール横を進みたかったんですけど、公道なのかどうかが分からなかったんで迂回して次のポイントへ移動。
おおっ、レールが途切れてる部分を発見!
いいですね、この廃墟感。
看板には、所有者の北沢産業から警告が書いてありました。
確かに誰もいないから不法投棄とかが発生するのかもしれません。
にしても、レールが当時のまま残ってるってすごいですね。
撤去費用とかも結構かかっちゃうってことなんでしょうか。
そして、播磨弧道が好きなアングルでレールを撮影。
脳内BGMは、もちろんスタンド・バイ・ミーです♪
この地点、実はこれでレールが終わりかと思いきや、道の反対側もレールが残っています。うーん、これはこのまま残してちょっとした観光地にした方がいいような気がしてきた。
ということで、次のポイントへ向かうことに。
この上を電車が走ってたんですねー。
次に着いたのはこのポイント。
少しわかりにくいですが、ここで線路が途切れています。
正面から見るとこんな感じ。
なぜここで途切れてるかと言うと、このすぐ後ろが川になっていて橋はすでに撤去されているからなんですね。
ということですぐ近くにある橋を渡って対岸へ。
写真中央がレールが途切れてた場所です。
ちなみに、橋脚の痕跡があるのか探しましたけど、草が多かったからかよくわかりませんでした。もしかすると、全撤去されてるのかも。残念。
ということで、また次のポイントに移動することに。
(といっても、実際はこのまっすぐな道じゃなく、家が建ってる場所がレールのあった場所のようです)
でも、すぐまたレールが敷設されてたまっすぐな道に合流。
まだまだまっすぐ進みます。
すると、5差路でこんな景色に出会うことができました!
おっ、また当時のレールが残ってる!
しかも、ここは黒と黄色の柵まで残っています。
にしても、この柵は木製なんですね。
もしかすると、廃止後に枕木を使って作られてたりするんでしょうか。
まだレールの表面がキレイでした。
でも、逆から見るとレールがアスファルトに飲み込まれていく姿があって、どうしても時代の中で消えていったものを感じずにはいられませんでした。
気を取り直して先に進むことに。
田園地帯に残る廃線のレール。
いい景色ですね。
東芝姫路工場の手前まで来ました。
すると、ここでまたレールが途切れることに。
アップするとこんな感じ。
進行方向を見てみると、東芝の工場(写真右側)です。
当時から残ってる建築物を見に行く
実は今回、必ず行こうと思ってた場所のひとつに東芝工場の「白い建築物」があります。
というのも、この白い陸橋のような建築物は1960年代の写真にも写っているので間違いなく網干鉄道が運行してた当時から存在しているものだからです。
まずは1960年代の航空写真を見てみましょう。
白い建物が鉄道の上を通っています。
そして、現在の航空写真。
しっかりと同じ場所に存在しているのが分かります。
ということで、ここで少しだけ寄り道してこの白い橋を見に行きたいと思います!
さっきの場所でアップした写真。
川沿いの小道からも、大きな木の向こう側に白い橋を見つけることができました。
ぐるっと回った広大な敷地の向こう側。
ここが一番近づける場所です。
アップして白い橋を見てみると、どうやらパイプのようですね。
でも航空写真がとられてから50年以上経ってるのにまだ残ってるとは恐るべしです。
網干鉄道の痕跡をたどる2
ということで、ここから振り向いて再度レール跡をたどっていくことに。
まだまだまっすぐな道が続いています。
ん・・・・・・まさか!?
なんと、当時のレールを再利用しているようですね!
網干線はホントにいろんな場所でレールをみることができます。
そして、近くに、当時のものっぽい柵も発見。
なかなか年季が入ってますね。
では、次のポイントに進みます。
今度は住宅地の中です。
おっ、またしても廃線のレール跡が復活!
この場所は住宅の切れ間にあります。
つまり、現在はレール跡の上には住宅が建っているんですね。
そして、ここからはレール横に道がないのでまた迂回して進むことに。
田んぼの向こう側が線路跡です。
次のポイントに到着。
ここも道路に寸断されてますけど、両側にレールが残っていました。
レールの横にはところどころ、あの警告用の看板が建っています。
レールだけじゃなく、他の機材も残ってました。
まだまっすぐに伸びるレールが残っています。
突き当りに見えるのがさっきの住宅の切れ間ですね。
反対側(北向き)
道路が寸断されたときのレールでしょうか。
そして、ここにも黒と黄色でペイントされた木製の柵がありました。
でも、風化して柵の柱はスカスカです。
では、さらに次のポイントへ行きましょう。
ここで、またしても道路で寸断された場所を発見!
ずっとまっすぐなレールです。
ここまでまっすぐなのに、どうして他の廃線みたいに道路化されなかったんでしょう。個人的にはこのまま残してほしいですけどね。
こういう遺構も残っています。
反対側を見ると、奥の方でレールがぐるっとカーブしています。
そろそろゴールが近いようですね。
ということで、痕跡が残る最終ポイントへ到着。
大きく弧を描くレールはここで途切れて終わっています。
現存する鉄道(JR)と廃線になった網干鉄道のコラボ。
その昔は、ここにも奥に見えるような光景が見られたわけですね。
すぐそばには橋がありました。
この2つ共存はしてたのかな??
そして、この先を進むとJR網干駅方面に向かう道路になっていました。
当時使われてたディーゼル機関車(2台)
ウィキペディアによると、当時走っていたディーゼル機関車が2台も現存してるということだったんで、ついでに行ってみることにしました。
高砂にあるディーゼル機関車
なぜここなのか経緯はわかりませんが、高砂にある「みやけ小児科」に展示されていました。
駐車場の隅で車両を発見。
屋根もレールもついていて、保存状態もいいですね。
きっと子どもたちも喜ぶことでしょう。
北沢網干パーキング
そして、JR網干駅の南側すぐにある「北沢網干パーキング」でもう一つの車両を発見。
こちらは雨ざらしになっています。
でも、近づいてみると保存状態は悪くないです。
手を伸ばしてフェンスの上から撮影。
こちらもレールの上に乗ってました。
おわりに
ということで、今回は網干鉄道の線路跡をたどってみました。
始めは聞いたことがない路線だったんで、たいして当時の跡は残ってないかもって思ってましたけど、結果として当時のレールをたくさん見ることができてとても楽しかったです。
ちなみに、ここまでレールを残してるのに駅の痕跡がほとんどのこってなかったのが不思議といえば不思議でした。なんならホームを残しててもいいような気はするんですけどね。
とにもかくにも今後も「播磨弧道」では廃線の旅を続けていきたいと思います。
ではでは〜。